ものとこころの環境整備
母の日に思うこと ―忘れられても―
2020年05月12日
5月の第2日曜日は、母の日ですね。
自分が子どもを持つまでは、
母に対してどうしようかな、という感じでした
私なりに、母に毎年プレゼントをしていました。
母は素直に喜んでくれていましたが、
ふと、自分に置き換えてみて、
母はプレゼントなんて望んでいたのだろうか
自分が子どもを持って、
初めて気づいたこと。
プレゼントはもらえたら
それはそれで嬉しいだろうけど、
そんなものは特に望んだりしていないこと。
それより、
子どもが元気に
機嫌よく(学校なのか、仕事なのか)いてくれたら、
それで充分だと。
たとえ
会えなくても、
会いに来てくれる時間がなくても、
忘れられていても、
それで充分なのでは、
ないかと私は思うのです。
できれば、
動物のように、
触れ合ったり、
ハグしたりするのも、
気持ちのいいことではあるけれど。
「亭主元気で留守がいい」
という言葉があるけれど、
子どももそうなのでは?
留守が必ずしも良いわけではないけど。
子どもに、
全くと言っていいくらい、
興味がなかった私が、
子どもを持って気づかせてもらったこと。
親は始めから親なのではなく、
子どもに親にしてもらう、
とは本当にその通り。
私には、
4人の子どもがいますが、
4人4様、それぞれに違う。
そら、そうだ。
親の所有物ではないのだから。
縁があって、
そして機会があって、
子どもを持てたことは、
奇跡のようなことだと私は思う。
私のような鈍感人間に気づかせてくれた。
人は、体験したことでしか、理解できない。
皆が元気で、
機嫌良くいてくれたら。
毎日が母の日のようなもの。
さて、今度は6月に父の日がやってきます。
最後までお読み頂き有難うございます。
Posted by ものとこころの環境整備